医薬品の特許切れと知財戦略
1. 背景
近年、ブロックバスターと呼ばれる大型先発医薬品の特許満了が相次ぎ、ジェネリック医薬品市場の拡大やバイオ医薬品の台頭など競争構造の変化が起きています[1]。医薬品業界において、特許権の存続期間満了に伴う、いわゆる「パテントクリフ」(特許の崖)への対応は、企業の喫緊の課題であり、後発医薬品(低分子ジェネリックやバイオシミラー)との競争激化や薬価低下による収益圧迫に対抗すべく、各社は特許切れを見越した多様な戦略を展開しています。
2. 技術要素
そのような状況の下、製薬企業はライフサイクルマネジメント(LCM)戦略の一環として技術的対応を講じています。特許存続期間内に製品価値を高め寿命を延ばすため、例えば適応症の拡大や剤形・用法の改良によって新たな特許を取得し、ジェネリック医薬品参入後も競争力を維持する手法が重要視されています[2]。具体的な対策として、医薬品の製剤技術を改良して利便性や有効性を向上させること、新しい投与経路や用量設定を開発すること、デバイスと組み合わせた製品展開、複数の有効成分を組み合わせた合剤の創製、新たなドラッグデリバリーシステムの導入、自社によるバイオシミラー事業への参入などが挙げられます。それぞれの対応策は新たな特許取得につながり得る複雑なプロセスであり、企業はこれらを通じて特許切れ後の市場独占期間延長や収益源の確保を図っています[3]。
パテントクリフを乗り越えるための具体的な技術的要素としては、以下のようなものが考えられるでしょう。
●製剤技術の改良と新規製剤の開発
○皮下注製剤への移行: 点滴静注製剤は病院での長時間にわたる投与が必要ですが、皮下注製剤は患者自身が自宅で投与できるなど、利便性が飛躍的に向上します。この投与形態の変更は、新たな製剤特許による保護を可能にします。
○ドラッグデリバリーシステム(DDS)の活用: 薬物を必要な部位へ効率的に送達する技術や、効果を持続させる徐放化技術など、薬効を最大限に引き出すための技術です[4]。これにより、投与回数を減らすなど、患者の負担軽減と特許期間延長を同時に達成することを目指します。
●新規適応症(用途)の追加
○新たな疾患への適用: 既存の薬剤が、当初の承認とは異なる新たな疾患や病態にも有効であることが発見された場合、これを特許法上の「用途発明」として保護することが可能です[5]。
●併用療法の開発
○既存薬と別薬剤の組み合わせ: 既存薬と別の薬剤を組み合わせることで、単剤療法よりも高い治療効果や、特定の患者群に対する新たな治療選択肢を提供することができます[6]。オプジーボとヤーボイの併用療法が肝細胞がんの治療に承認された事例などが挙げられます[7]。
●バイオ後続品(バイオシミラー)の製造技術
○製造方法や安定化技術: バイオシミラーは化学合成品であるジェネリック医薬品とは異なり、製造方法が極めて複雑で、通常先行品の製造プロセスは非公開です[8]。このため、バイオシミラーの開発企業は、先行品と同等・同質の製品を独自に製造するための技術を確立する必要があり、この「製造方法」や「安定化組成物」に関する特許が重要な役割を果たします 。
3. 特徴的な特許分類
医薬品分野の特許は、国際特許分類(IPC)において複数のサブクラスにまたがって分類されており、その技術的な側面を読み解くことができます。主な分類記号としては、医薬製剤やその成分、製造方法など、技術的構成そのものを分類する「A61K」と、化合物の特定の治療活性、すなわち「用途」を分類する補助的な記号である「A61P」が挙げられます。パテントクリフ対策の技術要素は、これらのIPC分類において以下のように体系化して捉えることができます。
●製剤技術改良関連
○A61K 9/00:特別な物理的形態によって特徴づけられた医薬品の製剤。
例として、液体製剤を分類するA61K 9/08や、凍結乾燥製剤を分類するA61K 9/19などがあります。点滴静注から皮下注への変更に伴う注射剤の製剤技術は、この分類群で評価されることが多いようです。
●不活性成分・DDS関連
○A61K 47/00:使用する不活性成分、例.担体または不活性添加剤に特徴のある医薬品製剤。
この分類は、製剤の安定性向上、溶解性の改善、または徐放性を目的とした賦形剤や安定化剤といった添加剤の技術に焦点を当てます。具体的な例として、糖類(A61K 47/26)、コラーゲン(A61K 47/42)、ペプチドやタンパク質(A61K 47/64)など、添加される成分の種類によってさらに細分化されます。これにより、単なる製剤の形状だけでなく、その中身を構成する技術が特許保護の対象となっていることがわかります。
●新規用途・適応拡大関連
○A61P:化合物または医薬製剤の特殊な治療活性。
この分類は、物質特許がA61K 31/00などでカバーされている場合でも、新たな用途を発明の対象とする「医薬用途発明」を保護する役割を果たします。オプジーボの様々な「がん」への適応拡大は、抗腫瘍剤を意味するA61P 35/00と密接に関連しており、これにより新たな市場を開拓していると考えられます。
4. 特許出願動向と注目技術
過去10年間(2015年~2025年)における特許出願動向を見ると、上述した各種対策技術に関する出願が世界的に活発化しています。特にブロックバスター薬の相次ぐ特許満了に伴い、企業は特許期間延長や市場シェア防衛のための「エバーグリーン戦略」を加速させてきました[9]。低分子医薬品では、徐放製剤や新投与経路の開発による改良特許、既存薬の新適応症特許(ドラッグリポジショニング)が数多く出願されています。
一方、バイオ医薬品分野では2010年代後半からバイオシミラー開発が世界的に本格化し、それに関連する特許出願も増加しました。特にリウマチ治療薬アダリムマブ(Humira®)や抗がん剤トラスツズマブ(Herceptin®)などのブロックバスターバイオ医薬品が2015年以降各国で特許切れを迎え、欧米を中心に多数のバイオシミラーが上市されています。先発企業は自社バイオ医薬品の特許防衛策として、製剤改良や新たなデバイス投与法の特許を出願し特許の森(Patent Thicket)を形成しました。例えばアダリムマブ先発メーカーのAbbVie社は300件超の関連特許を出願し、2016年以降には痛み低減のためのクエン酸フリー高濃度製剤特許を投入して市場切替を図りました[4]。その結果、多くのバイオシミラーは旧製剤向けに開発されていたため参入時に競合上不利となり、同社は米国市場でバイオシミラー発売を2023年まで遅らせることに成功しています。この事例は、特許と製剤改良を駆使した巧みな特許切れ対策として注目されました。
さらにデバイス連携技術も注目すべき動向です。インスリン製剤ではサノフィ社がインスリングラルギン(ランタス®)の高濃度版と新型ペンデバイス(トウジオ®・ソロスター)を2015年に投入し、長時間作用化と使い勝手向上で競合品との差別化を図りました。この高濃度製剤特許[10]およびペン型注射器の機構特許[6]はそれぞれ2010年代半ばに出願・登録され、バイオ後続品やバイオシミラーの参入を一定期間抑える効果を発揮しました。このようにドラッグデリバリーの革新(経口から注射・吸入への切替、デバイス付加など)は特許切れ対策として主流となりつつあります。
以上の出願動向を踏まえ、例として関連する特許公報を3件取り上げ、その技術内容を簡潔に紹介します。
1. US9345750B2 – インスリン製剤の長時間作用化技術に関する特許。従来品ランタスに比べ放出プロファイルを平坦・延長させた高濃度インスリン(U300)製剤をカバーする。サノフィ社が特許切れを見据え開発したToujeo®に対応する発明。
2. US9782479B2 – ヒト型抗体医薬アダリムマブの安定な水性製剤(クエン酸塩無添加の高濃度液剤)に関する特許。従来製剤より痛み軽減と長期安定性を実現し、バイオシミラー参入に先駆け市場に投入された改良技術を保護している。
3. US8058291B2 – アルツハイマー病治療に用いるドネペジルとメマンチンの配合カプセルに関する特許。コリンエステラーゼ阻害剤+NMDA受容体拮抗剤の固定用量合剤であり、1日1回投与の利便性向上と治療相乗効果を狙った製剤特許。特許満了の近い単剤に代わる新組合せ薬(Namzaric®)として位置付けられた。
上記3件を含む代表的な特許公報5件の情報を以下の表にまとめました。
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特許番号 |
発明の名称 |
権利者 (出願人) |
発行日 (公開日) |
リンク |
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US9345750B2 |
Long-acting formulations of insulin |
Sanofi SA |
2016.5.24 |
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US9782479B2 |
Stable aqueous formulations of adalimumab |
Coherus Biosciences Inc. |
2017.10.10 |
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US8058291B2 |
Methods and compositions for the treatment of CNS-related conditions |
Adamas Pharmaceuticals Inc. |
2011.11.15 |
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US8556864B2 |
Drive mechanisms suitable for use in drug delivery devices |
Sanofi (inventors: Veasey et al.) |
2013.10.15 |
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WO2020178653A1 |
Esketamine for the treatment of depression |
Janssen Pharmaceutica NV (J&J) |
2020.9.10 |
5. 今後の展望と課題
医薬品の特許切れへの対応は、単なる法的な問題を超えて、研究開発から事業戦略までを横断する総合的な知財マネジメントの課題となっています。今後は、開発初期から特許調査によって競合技術や周辺特許を俯瞰し、自社技術の位置付けを明確化することが一層重要になるでしょう。
特に侵害予防調査(FTO調査)は、将来の上市リスクを低減するための基盤的プロセスです。バイオ医薬品やDDS分野では、物質特許だけでなく製剤、用途、製造方法、デバイス関連まで含めた多面的な調査が不可欠です。
一方、後発医薬品やバイオシミラーの開発では、無効資料調査を通じて特許の有効性を検証し、回避設計や無効化の可能性を戦略的に検討することが求められます。侵害予防調査や無効資料調査、その他の特許調査を有機的に組み合わせることで、実効性のある参入・防衛戦略が構築可能となるでしょう。
さらにグローバル展開を前提とする現在の製薬ビジネスでは、各国制度の違いを踏まえた国際的な特許ポートフォリオ設計と、それを支える継続的な特許調査体制が企業競争力を左右します。今後は個別化医療やゲノム創薬の進展に伴い知財も一層高度化すると見込まれ、研究開発と知財活動を一体化した長期的戦略と専門人材の育成が引き続き重要になるものと思われます。
[1] https://www.jftc.go.jp/cprc/reports/index_files/cr-0115.pdf
jftc.go.jp
[2] https://answers.ten-navi.com/dictionary/cat06/3903/
LCM(ライフサイクルマネジメント)とは | 製薬業界 用語辞典 | Answers(アンサーズ)
[3] https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/26372691/
Patent cliff mitigation strategies: giving new life to blockbusters - PubMed
[4] https://qz.com/humira-abbvie-competition-from-cheaper-biosimilars-1849876888
How AbbVie denied Americans access to fair competition for Humira
持続性ドラッグデリバリーシステム | 特許情報 | J-GLOBAL 科学技術総合リンクセンター, 9月 16, 2025にアクセス、https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201303038847243649
[5] https://chizai-faq.com/1_patent/5416
Device Patent Improperly Listed in the Orange Book
Outcomes of Clinical Trials on the Roles of Immune Checkpoint Inhibitors in the Management of Lung Cancers: A Comprehensive Review - Premier Science, 9月 16, 2025にアクセス、 https://premierscience.com/pjs-25-897/
[8] https://fujifilmkyowakirin-biologics.com/ja/biosimilar/
[9] https://www.glossary.jp/econ/economy/evergreening-strategy.php
エバーグリーニング戦略とは? | 経済用語集
[10] https://secure.medicalletter.org/TML-article-1468b
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